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あさのあつこ『バッテリー』

2020年3月12日

何年ぶりかわからないくらい久々に、あさのあつこの『バッテリー』を再読。いわずとしれた児童文学の名作です。現在は、角川文庫で全6巻を読むことができます。

この小説は、著者自身が「少年が言葉を獲得する過程」と称したように、野球小説の形を借りて内面を描いている作品です。少年が教師の、というより大人の横暴と向き合い、なぜだと問い、大人の力に屈することを拒みながら約1年間の濃厚な時間を生きていく物語。これはおそらく、野球小説ではなく、少年の成長や教育をテーマとした作品だというべきでしょう。その証拠に、野球に関する技術や、野球そのものを論じることはほとんどなく、描かれているのは象徴的な数字やマウンド、心理などなど。全編を通じて彼らは野球をしていますが、作家の視線は野球を見ていません。彼らそのものを見ています。

ときには少年たちどうしで傷つけ合いながら、彼らはかけがえのないもの(本作品では野球)を続けていきます。ちょっとざっくりいうと、この作品にはふたつの特筆すべき点があると思います。

ひとつは、少年が社会と関わりを持ち始めたときに、妥協せずにあらがい続ける物語であること。

ふたつめは、そこに答えがないこと。

平成8年に発表された本作は、現在論点化されつつある問題を先取りしていたように思えます。たとえば、荻上チキの『いじめを生む教室』などで明らかにされてきた、教師の指導方法と、教室の荒れ方の関係。明示的にではないものの、力で押さえつけられてきた生徒は、同じく力で主人公の巧を押さえつけにかかります。

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最近は、教育をデータで語ることが少しずつ広まってきています。あさのあつこが本書を描いた時代より、少しだけ進歩していると思いますが、でも教育に答えはないとも思えます。そんなことを、久々に本書を手に取って考えました。


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